嗚呼、青春のゴミムシたち
「シスさんがいつもここでコーヒー飲んでることは知ってましたよ。」
学校が終わった夕暮れ時、俺はいつも不味いペットボトルのコーヒー(量が多くて安い)を買って近くの河川敷で夕日を眺めている。
別にペシミスト気取りとかそういうのではなく、ただ単にそのまままっすぐ誰も居ない家に帰りたくなくて、かと言ってわざわざ人が多いファミレスだとかカフェに行くのもなんだか気が引けて。
結局一人になれる河川敷に落ち着くわけだが…
「なんでお前がここにいる?」
高校生活も二年間続けているが、これと言って楽しいことは何もない。
対人関係も可もなく不可もなく、だ。
上履きには毎日画鋲が入っているし、教科書の表紙には黒マッキーで『対人恐怖乙wwww早く病院逝けば?xxxx!!xxxx!!(好きな言葉を入れてね!)』と書かれている。
…不可だらけで生きにくい世の中だ。不織布マスクだけが俺と社会を分断してくれる。教師陣にはブタクサ花粉症ということで押し切っている。
なんだか最近視線を感じることがよくある。
ついに幻覚、妄想症状まで現れたか、と自分に絶望しかけたが、そうではないらしい。
それは授業中、購買部、体育館、渡り廊下でコーヒーを購入している時、物陰からそっとこちらを窺っているようだった。
「誰かいるのか?」
「………」
クラスの陽キャたちとは違い、向こうも相当の手練れとみえて殺気を隠してはいるようだが、凍てつく空気感までは殺せないようだ。
「エッセルちゃん彼氏いるのだろうか…今度俺も立候補してみy」
「てめぇシス調子に乗ってるんじゃねぇぞゴミムシがァァ!!」
簡単に出てきた。やっぱりカトルだった。同じクラスだ。
「こそこそ嗅ぎまわって一体どういうつもりだ?お前も俺を笑いに来たのか?」
「いえ、あなた笑ってもなんにも面白くないですよ。僕はね、あなたの事、知りたいんです。あなたの強さの事。」
強さ?俺が強い、だと?何だこいつは何を言っているのだ。
こんな言われっぱなしやられっぱなしでだんまりを決め込む俺が強い?
「すまないが…他を当たってくれ。俺はお前に期待されているような者ではない。」
「…そういうとこが心底ムカッ腹が立つんだよなァこのクソボケ野郎」
鬼の形相で舌打ちをされたが面倒事に巻き込まれるのはごめんなので無視してそのままカトルの横を通り抜け校門へと向かった。
すれ違いざまに肩が少しぶつかった。ぶつかったところからじわじわと侵食されていくような、痺れて感覚が無くなっていくような、そのまま溶けて無くなってしまいそうな、そんな感触だった。
先程買ったペットボトルのコーヒーを手に、俺はいつもの河川敷に向かっていた。
一面のオレンジ色が水面に映りススキの葉がキラキラと輝いている。
(最近ススキの陰に誰かのダンボールハウスが建ったことは多分まだ俺しか知らない。)
舗装された人工河川の泥の匂いは何故だか懐かしくて落ち着く匂いだ。
堤防を登りきり芝生を見下ろすと、そこには見覚えのある二つのぴん、と立った耳が座り込んでいた。
こちらをゆっくりと振り向いて、たちの悪い笑みでもってその口角を上げる。
風が一筋、葉を絡めて吹き抜けた。
「シスさんがいつもここでコーヒー飲んでることは知ってましたよ。」
ゆらり、と立ち上がり服についた芝を払うとカトルは両の拳を握り戦闘態勢をとった。
「なんでお前がここにいる?」
そして何故戦闘態勢をとっている?訳が分からない。理解に苦しむ。
「その拳はどういうつもりだ?」
「ああ、これですか?よく言うでしょう?拳と拳で分かりあいましょうって。」
―――僕はあなたの強さが知りたいんですッ!!
言うが早いか、カトルの右ストレートが左頬を掠めた。
「馬鹿なのか!?貴様正気か!?」
膝蹴りが飛んできた。腕で受けたがミシミシと嫌な音がした。
「やられっぱなしですか?ずっとそのままなんですか?そんなんだから舐められるんじゃないんですか?強いものは弱いものを食って生きるんです。弱いものに生きる場所なんてねぇんだよクソゴミカス犬畜生が!!」
また拳が飛んできた。それを掌で受け止める。こいつ完全に目がイッてる。
「俺は…」
ああ、腕が焼けるように熱い。これは折れてるな。
「テメェは他人を守れるだけの強さを持ってるのにそれを隠してるそれどころか使おうともしない見てるだけ傍観者だ高みの見物だそんなの許せねぇんだよ!!」
拳に衝撃が走りカトルを殴ったのだと気づく。いいわけをさせてほしい。脊髄反射だった。カトルが鼻血を出して仰け反った。
「す、すまない…」
「…いいですね、面白くなってきました…!」
面白い?この状況が?なるほど、俺の何もないただ息をして河川敷で夕日をバックにコーヒーを飲むだけの放課後とは大違いだ。ただちょっと刺激が強すぎる。
なんて考えていたら隙をつかれて顔面に拳を思いっきり貰ってしまった。
ああ、社会分断不織布マスクがだめになってしまった。
「ぁ…ゃ、やめっ…こっち見んなぁ…」
「惨めですね。そんなんだからいつまでたっても虐げられて搾取される側なんじゃないですか?」
ぽたり、ぽたりと地面に染みが広がり血溜まりが出来ていく。多分俺も鼻血を出しているのだろう。
咄嗟に動く方の腕で顔半分に鼻血を塗り拡げた。これならマスクほどではないが素顔はわからないだろう。
「油断してると世間に殺されますよ?僕はね大事な家族を守るためなら何だってしますよたとえ自分が死ぬことになろうとも構いませんそんなものいくらだって投げ出しますよ」
―――だから
「だからあなたが許せない…!力があるのに自分を否定するシスさんが許せないんです。」
振り上げた腕を力なく下ろしてカトルは項垂れた。小さく丸まった肩口は少し震えているように見えた。
俺は他人の視線が怖い。
家で待っていてくれる家族もいない。
こいつみたいに守るべきものとは?
それが一つでもあったのならば、守るために力を揮えるのだろうか。自分にも価値があると思えるのだろうか。
「俺は他人と無駄な関りを持ちたくはない。面倒事もごめんだ。俺が強く見えるだと?こんなに逃げてばかりの俺が?俺にはよっぽどお前のほうが強く見える。困難に立ち向かえるお前のほうがずっとずっと強いだろう。」
「…ちがう。」
「何が違う?」
「違うんです…僕は…シスさんのような無言の抵抗ができる者になりたい。言ってること、矛盾してますよね。僕はなんでもやり返さないと気が済まないから。それで周りの者を危険に曝してきたこともあります。そんなの強さなんかじゃないです。」
やり返したいなら気の済むまですればいいだろう。それだって一つの手段だ。
でもこいつは頑固者だからきっとそれを口で伝えても堂々巡りになるだけだろう。
俺ときたらどうだ?毎日靴に画鋲を入れられつまらない日々を消化するだけの人生。それ以上でもそれ以下でもない。
無言の抵抗の産物がそれ。どっちが幸せかなんて誰にも決められやしない。
疲弊しきった俺たちは芝生に倒れこむように二人して寝転んだ。
夕焼け空のオレンジ。
乾ききった血の赤。
吹き抜ける風が殴られた跡の熱を奪って心地良い。そうだコーヒーを買っていたんだった。
一口飲むと鉄の味がした。さっき頬を掠めた時切れたのだろうか。
「僕にも一口ください。」
喉が渇きました、と強引に俺からコーヒーを奪い取ると俺の飲みさしのペットボトルに口をつけた。俺の、飲みさしの。
「…なんですかその顔。」
よほど情けない顔をしていたのかもしれない。そうだ、今だ。やるなら今だ。
薄く開いたカトルの唇に噛り付くようにキスをした。
「―――やられたらやり返すんだろう?」
ニヤリ、と目を細めると案の定コーヒーのボトルが俺めがけて弧を描いて飛んだ。
空中で黒い液体が雨のように飛散する。
顔を真っ赤にしたカトルが渇いた血やら涙でぐちゃぐちゃな顔で睨みつける。
その大きくてふさふさな耳をわななかせて。
俺は笑っていた。黒い液体を全身に浴びながら心底可笑しくて笑っていた。
午後6時04分 放課後の河川敷にて。
学校が終わった夕暮れ時、俺はいつも不味いペットボトルのコーヒー(量が多くて安い)を買って近くの河川敷で夕日を眺めている。
別にペシミスト気取りとかそういうのではなく、ただ単にそのまままっすぐ誰も居ない家に帰りたくなくて、かと言ってわざわざ人が多いファミレスだとかカフェに行くのもなんだか気が引けて。
結局一人になれる河川敷に落ち着くわけだが…
「なんでお前がここにいる?」
高校生活も二年間続けているが、これと言って楽しいことは何もない。
対人関係も可もなく不可もなく、だ。
上履きには毎日画鋲が入っているし、教科書の表紙には黒マッキーで『対人恐怖乙wwww早く病院逝けば?xxxx!!xxxx!!(好きな言葉を入れてね!)』と書かれている。
…不可だらけで生きにくい世の中だ。不織布マスクだけが俺と社会を分断してくれる。教師陣にはブタクサ花粉症ということで押し切っている。
なんだか最近視線を感じることがよくある。
ついに幻覚、妄想症状まで現れたか、と自分に絶望しかけたが、そうではないらしい。
それは授業中、購買部、体育館、渡り廊下でコーヒーを購入している時、物陰からそっとこちらを窺っているようだった。
「誰かいるのか?」
「………」
クラスの陽キャたちとは違い、向こうも相当の手練れとみえて殺気を隠してはいるようだが、凍てつく空気感までは殺せないようだ。
「エッセルちゃん彼氏いるのだろうか…今度俺も立候補してみy」
「てめぇシス調子に乗ってるんじゃねぇぞゴミムシがァァ!!」
簡単に出てきた。やっぱりカトルだった。同じクラスだ。
「こそこそ嗅ぎまわって一体どういうつもりだ?お前も俺を笑いに来たのか?」
「いえ、あなた笑ってもなんにも面白くないですよ。僕はね、あなたの事、知りたいんです。あなたの強さの事。」
強さ?俺が強い、だと?何だこいつは何を言っているのだ。
こんな言われっぱなしやられっぱなしでだんまりを決め込む俺が強い?
「すまないが…他を当たってくれ。俺はお前に期待されているような者ではない。」
「…そういうとこが心底ムカッ腹が立つんだよなァこのクソボケ野郎」
鬼の形相で舌打ちをされたが面倒事に巻き込まれるのはごめんなので無視してそのままカトルの横を通り抜け校門へと向かった。
すれ違いざまに肩が少しぶつかった。ぶつかったところからじわじわと侵食されていくような、痺れて感覚が無くなっていくような、そのまま溶けて無くなってしまいそうな、そんな感触だった。
先程買ったペットボトルのコーヒーを手に、俺はいつもの河川敷に向かっていた。
一面のオレンジ色が水面に映りススキの葉がキラキラと輝いている。
(最近ススキの陰に誰かのダンボールハウスが建ったことは多分まだ俺しか知らない。)
舗装された人工河川の泥の匂いは何故だか懐かしくて落ち着く匂いだ。
堤防を登りきり芝生を見下ろすと、そこには見覚えのある二つのぴん、と立った耳が座り込んでいた。
こちらをゆっくりと振り向いて、たちの悪い笑みでもってその口角を上げる。
風が一筋、葉を絡めて吹き抜けた。
「シスさんがいつもここでコーヒー飲んでることは知ってましたよ。」
ゆらり、と立ち上がり服についた芝を払うとカトルは両の拳を握り戦闘態勢をとった。
「なんでお前がここにいる?」
そして何故戦闘態勢をとっている?訳が分からない。理解に苦しむ。
「その拳はどういうつもりだ?」
「ああ、これですか?よく言うでしょう?拳と拳で分かりあいましょうって。」
―――僕はあなたの強さが知りたいんですッ!!
言うが早いか、カトルの右ストレートが左頬を掠めた。
「馬鹿なのか!?貴様正気か!?」
膝蹴りが飛んできた。腕で受けたがミシミシと嫌な音がした。
「やられっぱなしですか?ずっとそのままなんですか?そんなんだから舐められるんじゃないんですか?強いものは弱いものを食って生きるんです。弱いものに生きる場所なんてねぇんだよクソゴミカス犬畜生が!!」
また拳が飛んできた。それを掌で受け止める。こいつ完全に目がイッてる。
「俺は…」
ああ、腕が焼けるように熱い。これは折れてるな。
「テメェは他人を守れるだけの強さを持ってるのにそれを隠してるそれどころか使おうともしない見てるだけ傍観者だ高みの見物だそんなの許せねぇんだよ!!」
拳に衝撃が走りカトルを殴ったのだと気づく。いいわけをさせてほしい。脊髄反射だった。カトルが鼻血を出して仰け反った。
「す、すまない…」
「…いいですね、面白くなってきました…!」
面白い?この状況が?なるほど、俺の何もないただ息をして河川敷で夕日をバックにコーヒーを飲むだけの放課後とは大違いだ。ただちょっと刺激が強すぎる。
なんて考えていたら隙をつかれて顔面に拳を思いっきり貰ってしまった。
ああ、社会分断不織布マスクがだめになってしまった。
「ぁ…ゃ、やめっ…こっち見んなぁ…」
「惨めですね。そんなんだからいつまでたっても虐げられて搾取される側なんじゃないですか?」
ぽたり、ぽたりと地面に染みが広がり血溜まりが出来ていく。多分俺も鼻血を出しているのだろう。
咄嗟に動く方の腕で顔半分に鼻血を塗り拡げた。これならマスクほどではないが素顔はわからないだろう。
「油断してると世間に殺されますよ?僕はね大事な家族を守るためなら何だってしますよたとえ自分が死ぬことになろうとも構いませんそんなものいくらだって投げ出しますよ」
―――だから
「だからあなたが許せない…!力があるのに自分を否定するシスさんが許せないんです。」
振り上げた腕を力なく下ろしてカトルは項垂れた。小さく丸まった肩口は少し震えているように見えた。
俺は他人の視線が怖い。
家で待っていてくれる家族もいない。
こいつみたいに守るべきものとは?
それが一つでもあったのならば、守るために力を揮えるのだろうか。自分にも価値があると思えるのだろうか。
「俺は他人と無駄な関りを持ちたくはない。面倒事もごめんだ。俺が強く見えるだと?こんなに逃げてばかりの俺が?俺にはよっぽどお前のほうが強く見える。困難に立ち向かえるお前のほうがずっとずっと強いだろう。」
「…ちがう。」
「何が違う?」
「違うんです…僕は…シスさんのような無言の抵抗ができる者になりたい。言ってること、矛盾してますよね。僕はなんでもやり返さないと気が済まないから。それで周りの者を危険に曝してきたこともあります。そんなの強さなんかじゃないです。」
やり返したいなら気の済むまですればいいだろう。それだって一つの手段だ。
でもこいつは頑固者だからきっとそれを口で伝えても堂々巡りになるだけだろう。
俺ときたらどうだ?毎日靴に画鋲を入れられつまらない日々を消化するだけの人生。それ以上でもそれ以下でもない。
無言の抵抗の産物がそれ。どっちが幸せかなんて誰にも決められやしない。
疲弊しきった俺たちは芝生に倒れこむように二人して寝転んだ。
夕焼け空のオレンジ。
乾ききった血の赤。
吹き抜ける風が殴られた跡の熱を奪って心地良い。そうだコーヒーを買っていたんだった。
一口飲むと鉄の味がした。さっき頬を掠めた時切れたのだろうか。
「僕にも一口ください。」
喉が渇きました、と強引に俺からコーヒーを奪い取ると俺の飲みさしのペットボトルに口をつけた。俺の、飲みさしの。
「…なんですかその顔。」
よほど情けない顔をしていたのかもしれない。そうだ、今だ。やるなら今だ。
薄く開いたカトルの唇に噛り付くようにキスをした。
「―――やられたらやり返すんだろう?」
ニヤリ、と目を細めると案の定コーヒーのボトルが俺めがけて弧を描いて飛んだ。
空中で黒い液体が雨のように飛散する。
顔を真っ赤にしたカトルが渇いた血やら涙でぐちゃぐちゃな顔で睨みつける。
その大きくてふさふさな耳をわななかせて。
俺は笑っていた。黒い液体を全身に浴びながら心底可笑しくて笑っていた。
午後6時04分 放課後の河川敷にて。